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手描きスケッチパース講師の「ススム日記」

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「リアリティー」への挑戦

梅雨の時期だから・・・、と言うにはあまりにも激しすぎる最近の雨模様ですね。

「豪雨」で思い出しましたのは、”黒沢映画”のことでした。
(「羅生門」か「七人の侍」、どっちか定かではなくてすみませんが・・・)始まりのシーンが「豪雨」なんです。
大粒の雨が、これでもかというほどに降り注いでいる。
まさにこれから始まる”激しさ”を象徴したシーンです。

当時の映画は「モノクロ(白黒)」で、カラーではありません。

ですから、雨が降っている(降ってくる)様子を単純に「目線」レベルで撮影しても、黒沢監督の意図する”激しさ”は表現できていない(実際に雨粒がフィルムに映りきれない)。

では、どう「伝えるか?」・・・・・。

地面に降り注ぐ雨の”跳ね返り”によって、雨の量と激しさを表現しようとしたそうです。
「よし、これでうまくゆく」かに見えたものの、黒沢監督自身は「OK」ではありませんでした。

「リアリティーがない。」

これが、不満だったそうです。
雨粒の跳ね返りに「リアリティー」がない、ということなんだそうです。
時代設定は、武士の時代。雨が降れば道はぬかるみ水たまりが多数あるだろう。ましてや「豪雨」では、水たまりはおろか一面は雨水の海のはず。
溜まった雨水の下は「土」であるから、同じ水たまりでも”コンクリート(撮影場所がそうだったのでしょうか?)”が下にある場合の雨粒の跳ね返りとは違うはずである。
そう黒沢監督は考えていたそうです。

美術セットさんは急遽、しっかりと土を地面に敷いての撮影再開。
見事に、「豪雨」のシーンは成功し映画そのものもこのシーンで決まったといっていいほどの出来栄えでした。

このような黒沢監督の逸話は沢山あります(ご存じの方も多いでしょう)。

ロケーション(外部の撮影場所)を決めるのに、ほぼここに決定と思いきや「あの煙突が邪魔だなあ。」の一言で、一時期持ち主の許可をとって撤去し撮影をした。
草原の中での嵐のシーンでは、なかなか嵐のような風が吹かず、ましてや人工的に大きな扇風機を使って・・・などとは御法度もの。
結局、一年待って台風シーズンの中、黒沢監督の期待通りの嵐の中で撮影をすることができた。
などなど・・・・・。

これほど「伝えること」に妥協を許さなかった方はいないのではなかろうか、と思います。

「黒沢映画」の登場で、映画の持つ存在感や価値感はすっかり変わりました。
世界の映画監督は、大いに黒沢監督の影響を受けその後の映画作りをしています。
黒沢監督の凄さは、よく耳にしますがほとんどが「テクニック論」のように私には聞こえてしまいます。

同じ”もの作り”に携わるものとして黒沢監督を眺めますと、おそろしいほどに気概ある「伝えること」への執念を感じます。
微に入り際に入り気を使い、そうして一つ一つつながったものを全体として見た時にはじめて、自身が意図したものが伝わるであろう・・・、そういった考え方のもとに映画を作っていたのではないだろうか?と、そう感じてなりません。

黒沢映画とスケッチパースを比較するつもりはありませんが、先人の築いた(残していった)ものを受け継ぎ、自身の仕事に役立てさらに膨らませて、次代へと繋げてゆきたいものです。
by sketchpers | 2009-07-08 11:26