さて、そろそろ「スケッチパース」についての話に戻しましょう。
この「手書きスケッチパース」、何故皆さんは受講しこの技術を習得したいと思われましたか?
なかなか唐突な質問ですが、いかがでしょうか。
(こういった分け方には疑問はあるのですが・・・)「CGによるパース」は”デジタル”としますと、「手書きスケッチパース」はまさに”アナログ”ですね。
新素材や新技術の発達・発展に伴って、「時間短縮」~「簡単・便利」~「高速・大容量処理」~「本格化」といった経緯をたどってきた”デジタル”分野ですが、この「道具」はそれはそれとして大変重宝なものです。
今や、私達の日常生活には必要不可欠であり、大きなライフラインのひとつとして存在していることは否めません。
その”デジタル”、実は「指で数える」といった意味がデジタルという言葉の意味のひとつである、と申し上げたらどういう印象をお持ちになりますでしょうか?
指で数字を数えて情報のやり取りや処理を行っていた遥か昔の時代のことです。
言葉(言語)での情報のやり取りや処理の他に、数字的な何かが必要になってきた、つまりは社会システムが進歩してきた故の「指で数える」といった発想だったのではないか、と推測します。
様々な”デジタル技術”の進歩の基は、”とてもアナログ的発想”が原点としてあるようです。
「こんなものがあったらいいなあ。」
「こうなったら便利だろうなあ。」
「こういったものがほしいなあ。」
まあ、人間の欲はつきないものでそのために大きな”ツケ”を作ってしまいましたが、「向上」という点においての進歩は、人間の持つ他の生き物にはない特徴なのでしょう。
その向上における発想は、まさに”アナログ的”に他なりません。
これは、「指をおって数える」ようなことで発想できる代物ではないのです。
つまりは、”アナログ”として発想し”デジタル”として計算・処理し形にする・・・・・、時代の進歩・発展は常にこの繰り返しではなかったか、と思うのです。
このことは、”アナログ”と”デジタル”が相反するものではなく、両輪としてひとつの時代を運んでいることなのではないでしょうか。
私は、そう考えます。
ですから、パースの話に戻して改めて考えてみますと、「手書きスケッチパース」も必要であり「CGパース」も必要なのです。
しかしながら、アナログ的に「手書き」をすることによって得られる発想はとても大切であり、この発想はデジタル行為ではなかなか出来ない芸当です。
一方、「手書き」にはやはり限界があり、デジタルの力(処理能力)には敵いません。
こういったことを押さえた上で、「手書きスケッチパース」の講座に取り組んでいただけますと、大きな視野のもとでひとつの技術を習得することができ、その技術がきっかけになって他のことへの理解が広がる。
そういう願いがあります。
デジタル化が進めば進むほどに、アナログへの欲求が出てくるのもうなずける話ですね。