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手描きスケッチパース講師の「ススム日記」

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「介護社会」について(1)

暑いですねえ~、なんて悠長な言葉などでこれからの夏本番を迎えるには、あまりにも「酷暑」すぎる今日このごろです。
夏本番を前に、すでに心も体もグッタリ・・・といった感じですよね。

いつになく、「熱中症」の予防などが天気予報の度に我々に伝えられています。

そのような中、ご高齢の方がほぼ毎日のように熱中症による残念な報道を耳にいたします。
どのような状態(環境状態)によって熱中症を起こし命を落とすことになったのかはわかりませんが、様々な角度からのフォロー(アプローチ)によって、少なくとも命を落とすようなことは未然に防ぐことができたのではなかろうか・・・、と思ってしまうことがあります。

私は、「ホームヘルパー」の資格を持っています。
また、現状把握といった意味に於いて介護のアルバイトをしたことがあります。

そのような経験を通して、随分とあらゆることとの”ギャップ”を感じずにはいられませんでした。

ひとつには、「認識」の問題です。
これは私も勉強をして初めて知ったことなのですが、「65歳以上の人口が、総人口の7%を超えると”高齢化社会”という」ことと「65歳以上の人口が、総人口の14%を超えると”高齢社会”という」ということで、今の日本はとっくに「高齢社会」であるのです。

先日の参議院選挙において「消費税」のことが各党のマニフェストに書かれており、また演説においても街頭で話されておりました。
それと同時に、「福祉」についても演説等で熱く論戦を戦わせておりました。

しかしながら、せっかくの候補者の論戦も「これからの高齢化社会に対応・・・云々」と何度も聞く度に、「おいおい、高齢化社会じゃないよ。高齢社会なんだよ、すでに・・・。」と、認識の甘さと現実を突きつけられているようでガッカリしたものです。
(このような人達に、一体どのような福祉ができるのか、とても疑問を感じます・・・。)

「福祉」、とりわけ高齢者について様々に対策が考えられております。

国としてできること、地方行政としてできること、民間によってできること、そして家族単位や個人でできること、などなど現実の問題を通してやっと動き出した、といった感があります。

しかしながら、「現実」は政治の決断スピードなど待っていられないほどに、恐ろしいほどのスピードでまさに「高齢社会」としての様々な問題が様々な形を取って表われています。

「老老介護(ご高齢のご夫婦の片方がもう片方を介護する)」や「高齢者単身世帯」、また働き盛りの方が親の介護によって職場を離れるといったこと。
また、「施設」に入所しようにも経済的に断られたり、介護保険制度を利用しての施設利用にも限度がある・・・。
介護をする側にとって、家族であってもまたたとえ仕事であっても過酷なものです。
「認知症」ばかりが1日24時間見守っていなくてはいけないものではない。
「介護」という環境に入った時点で、1日24時間の”心身共に過酷な環境”になってゆく。

大変大雑把な言い方ですが、以上のような「現実」があり、また今後はそれに拍車をかけるようなスピードでの「社会現象」となってゆきます。

そのような現実の中で、住宅の着工件数の伸び悩みの解消にと目を付けた「リフォーム」事業の中に、”バリアフリー”を謳い文句として高齢者のいる住宅をターゲットとしたリフォームが、一時期流行いたしましたね。

しかしながら、今ではリフォームの”リ”の字も聞かなくなってしまいました。
何故なら、業者側にとって「儲からない」からです。
健康なうちは、将来を考えてバリアフリーにして介護のことも視野に入れて・・・、などそうそう考えませんね、人情として。

介護をして初めてわかる自分の住まいの勝手の悪さ。
気づいて、いざリフォームといっても介護の方にお金がかかり、リフォーム費用など絞り出そうにもなかなかでてこないのが現状なんです。

「介護保険」があるじゃないか!、と切り札をだしたようでも、リフォームとして保険金が下りるのはわづかに「20万円」が限度なんですね。
果たして「20万円」で、その家族なりが要望する介護環境がリフォームできうるのでしょうか?
業者が”逃げてゆく”のも、無理ありませんね、残念ながら・・・。

介護保険制度を作る時に、一体何を根拠にこの「20万円」という数字をだしたのか、まったく物事の現状を知らない人間の机上論としか思えません。

一方、住宅等の作り手側にも、私も含めもっともっと勉強(認識)をしてゆかなくてはいけないのではなかろうか、と思っています。

「介護」と一言で”健常者”は片付けてしまいますが、”要介護者”は一人一人症状も病状の進行具合も年齢も違い、性別もあります。
また、例え「認知症」であろうともその症状の度合いによって「現存能力(残存能力)」はあるわけでして、いわばその部分がある意味その方の「個性」であり「人生経験」であり「ご本人そのもの」であるわけです。
ですから、当然ながら”意志”もありますし”要望”もあるわけです。

「手すりを付ければいい。」
「段差をなくせばいい。」
「病人なんだから、こうしなくてはいけない。」

バリアフリーを語っているようで、実は「バリア(障害・障壁)」を作っているのは我々健常者(この”健常者”という言い方も問題があるように思うのですが・・・)の方なんですね。

介護の世界でいう「バリアフリー」は、ある症状を持っていながらも「現存能力(残存能力)」を最大限活かして、できることは自分で行い実社会を生きてゆくことで人としての尊厳を守り、周辺社会からの偏見や誤解といった”バリア”と、「自分は病人(もしくは、年寄り)なんだから・・・。」といった自分自身で作ってしまった社会との”バリア”をなくしてゆこう、ということが大定義としてあるんです。

「介護社会」は、単に老化や病気といった医療からくる社会問題ではないんですね。

そういった意味に於いて、今後の住宅等の建物に託される基軸の一つとして、「介護社会(高齢社会)」の概念を取り入れて環境をどうプランしてゆくのか?といった課題があるように思えます。

様々な取組は既に始まってはいます。
健常者とか要介護者とかいった垣根を払い、本来のバリアフリーのもとで”人としての尊厳”をベースにひとつひとつ解決し構築していってもらいたい、と切に願うものです。
by sketchpers | 2010-07-26 20:23