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手描きスケッチパース講師の「ススム日記」

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「豊かさ」はみえる?

暑い夏には、何といっても「風鈴」「かき氷」「海水浴」(まあクーラーもありますが・・・)などといった身体を冷やすものもありますが、”ヒエッ!”と言えば何と言っても「怪談話し」ですね。

先日、テレビで「心霊写真やビデオに写った幽霊」という番組を久々に見て、「そういえば夏には、怪談ものや幽霊ものってあったよなあ。」などと思いだしたものです。

まあ内容の事は別にして、”目にみえないもの”の存在には近代社会から現代社会にかけて、随分と論議されているようですね。

特に、(自称・他称色々ありますが・・・)霊能者と呼ばれる方々と科学者とのバトルは、依然平行線のまま曖昧にいつも終わり、結局は両者が両者持論のまま何も変わらずに同じ事を勝手に言いあい、相も変わらず同じ事を繰り返しているようです。
見ていておもしろいやら、あきれるやら・・・。

”目にみえないもの”は、何も心霊や幽霊ばかりではありませんよね。

日常よく私達が使っている「気持ち」とか「心」とか「愛情」など、こういった類のものも”目にみえないもの”です。
また、「イメージ」や「アイデア」もフッと湧き出ている時は、”目にみえないもの”ですよね。
(要は、形になってみることができない、というだけのことなんですがねえ・・・。)

前回の「ススム日記」で、「目にみえないものを表現できることは、豊かなことだ。」と書きました。
目にみえないものを表現できるということは、目にみえないものを”受け入れている”という証拠なのだと考えます。
目にみえないものの存在を、あらゆる全ての存在を”認め、受け入れている”からこそ、目に見えているものも目にみえないものも区別なく(差別なく)普通に捉えているんだろうと思います。

科学によってナノレベルの素粒子を見ることができるようになったことも、「やっと、あなたの気持がわかった。」と納得し心が交うことも、愛情に満たされて心地よくなることも、そしてスケッチパースでイメージやアイデアを表現し相手に伝えることも、これ全ては「(形があるないに拘わらず)みえないものがみえた」という点で同じ事なのではないでしょうか?

今まで見えていなかった(見ることができなかった)ことが、「観えるようになる」ことは実は日常様々な場面場面で沢山あるしその都度体験・体感してるんですね。

ただし、私達人間が”見えている(見ている)”ものは、未だ見えていないものも含めた全存在のほんのわずかな末端である、という事を肝に銘じて謙虚に”観てゆきたい”ものだと思います。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、3人の盲人が各々「象のしっぽ」「象の足」「象の鼻」と一人一か所を触り「これこそ象の姿である。」と各々が主張しあい意見をゆずらない、といった逸話があります。

象の全体が「観えてる」ものにしてみればまことに馬鹿馬鹿しい話ではありますが、ふと省みますと決して笑える話ではないですよね。逆にゾッとする話で、我が身に置き換えてみたりします・・・。

”目にみえないもの”の中に、「感覚(センス)」があります。
この「感覚(センス)」という意味合いを、随分と私達は狭めてしまったのではないか、と考えます。

「気持ち」や「心」といったものと同意語として、「感覚(センス)」があると思っています。
ですから、「自分にはセンスがない。」とか「センスが悪い。」などということは、「自分は気持や心がない。」とか「私の気持ちや心は悪いんです。」と言っていることと一緒ではないかと思うんですね。

どなたにでも、持って生まれた「感覚(センス)」があり、育んだ「感覚(センス)」があるわけです。そこに、”良し・悪し”はありません。
あるとすれば、それは単に「その時期・時代の多数派に乗っ取っているか?」だけのことだと考えます。

自分にとって、目にみえるものも目にみえないものも大切な存在です。
「感覚(センス)」を大切にすることは、自身を大切にすることだと私は思っています。

そうした心構えで、”目にみえるものと目にみえないものとの橋渡しである表現”のひとつでありますスケッチパースに今後も向き合っていこうと思っております。
by sketchpers | 2010-09-04 12:36