手描きスケッチパース講師の「ススム日記」

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「ススム日記」について

早いもので、当講座も第10期生を募集するまでになりました。
WEBといった事情もあるのでしょう。受講されている方々は、全国各地にいらっしゃるまでになりました。
これもひとえに皆様のお陰でございます。
この場を借りまして、御礼申し上げます。ありがとうございます。

さてこの「ススム日記」も、ブログ形式で書き続けてきまして、それなりに情報量あるものになってきました。

この講座の意義や進め方、各コースの各回のねらいについての紹介、具体的な描き方のひとつの目安、多数あるであろう受講生の皆さんの悩みへのアドバイス、「手書き」の意味や意義について、”パース”と”スケッチパース”と”クイックパース”の夫々の意味合い、などなど・・・・・。
受講生の皆さんにとって役立つであろうと思う内容を、その都度書いてまいったつもりです。

現在この講座を受講されていらっしゃる方々も、またすでに各コースを修了された方々も、そして当サイトに入られてご覧いただき講座の受講をご検討いただいていらっしゃる方々も、”是非とも”過去の「ススム日記」から再度読んでみていただきたい、そう思っております。

受講されていらっしゃる方々にとりましては、各回の受講を重ねてゆくたびにレベルがどんどん上がっている状態の中、改めて読み返していただきますとさらなる具体的な理解度がアップし、受講の手助けになることでしょう。

すでに各コースを修了されていらっしゃる方々にとりましては、実践の場でご活躍いただいている中、ふと立ち止まった時の解決のきっかけになろうかと思います。
また、改めて実践と照らし合わせて読み返していただきますと、内容の理解度も違った角度から深まってゆくことになるでしょう。

当講座の受講をご検討されていらっしゃる方々にとりましては、「手書きスケッチパース」への入口のひとつとしてご参考になることでしょう。

この「ススム日記」も含めまして、当講座の全てを活用していただきたいと思っております。

「皆さんに活かしていただきたい」、そう願って日々この「ススム日記」をはじめ添削・アドバイスやお問い合わせなどに対応させていただきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。
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by sketchpers | 2009-05-30 08:18

仕事がない時代(時)

「プロのための・・・」と謳っておりますこの講座。
受講生やこの講座のサイトをご覧いただいております方々は、まさに「設計・デザイン界のプロとして」ご活躍されていらっしゃる方々でしょう。
本日は、少しスケッチパースから離れて「同業者の立場」としてお話することにしましょう。

「いや~、仕事がないね。こんなこと、始めてだよ。」

特に最近よく口ぐちにする言葉です。
また、よく耳にする言葉です。

大手メーカーから設計事務所・デザイン事務所そして工務店など、住宅産業はおろか建築業界全体が今動きがないのが現状のようです。

そのような中でも、創意工夫し新たなシステムで仕事をされておられる企業の方々や事業主の方々がいらっしゃることも、これまた事実のようです。

このような現状の中で、「いったい設計とかデザインって何なのだろうか?」と、ふと立ち止まり考えます。

もっと踏み込んで言いますと、「これからの時代(次代)へ向けての設計・デザインの在り方」とは、いったいどのようなことなのだろうか、と。

今、私達が”作業的”に行っている設計・デザイン行為は、「西洋型スタイル」のように思えるのです。
そういった意味で独自に「設計・デザイン」という言葉がこの日本に入ってきて、まだ1世紀も経っていません。
元々は、「意匠」という言い方があり、今で言う設計・デザイン・コーディネートの一切を表現した言葉でした。

そして大切なのは、それを自分自身で「作り上げている」ということです。

正に言葉のごとく、「匠の意を表す」こと、形にすること全てで”ひとつの仕事”だったのでしょう。
(道具を作る職人は各々いましたが、その道具を使って”意匠”を仕上げることがひと通りの仕事だったのではなかろうか、と思います。)

”意匠”の持つ大きな力は、「全体そして一から十まで、全てを見とおしている」ということではないでしょうか。

そこから考えますと、今の仕事の在り方は随分と”分業化”されたものになってしまったようです。
分業化によって、その道のスペシャリスト(専門家)というものが生まれてくるわけですが、全体をまとめられる者がいれば分業化も活きてくるでしょう。
実際、過去の経済的に発展した大きな起因は”分業化の専門化”があったわけですから。

しかし、どうもここ最近ではその専門性自体が各々「巨大化」してしまい、動きがとれない状態に自身がなってしまったのではないか、と思うのです。
そう、「恐竜時代の末期」のような現象ですね。

と言う事は、後は”絶滅”を待つのみ、という事になるのでしょうか・・・・・。

「温故知新」ではありませんが、生き物として時代の末期を迎えそしてその峠を越えて生き残ったものたちに学ぶとするならば、こうゆうことなのではないか、と考えます。

「過去の概念や価値を一切捨てて、次代(環境)に融和・適合してゆく」こと。

ある意味では、”生まれ変わる”ということなのでしょう。
生まれ変われなかった恐竜は、絶滅しました。
”絶滅”とは、ひとつの時代が終わったということ、つまりは「新たな時代(次代)」の始まりである、ということなのだと思います。

現在、「仕事がない」のはすでに”過去の時代のようなやり方の仕事”がなくなっている、ということなのでしょうねえ、そう感じます。
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by sketchpers | 2009-05-28 12:32

”手書き”を手に馴染ませる

明日20日から、再び8日間ほど「大工・土方の”見習い”」に行ってきます。
5月7日付けのススム日記にあった工事の仕上げをしてきます。
また、色々な発見や感動があればいいなあと思っております。

さて、本講座を受講されております皆さん、練習の進み具合などはいかがでしょうか?

このご時世、そうそうゆったりと腰を据え時間をかけて学習する(練習する)といった時間や気持ちが、なかなか取れない(できない)、といった状況でもありましょう。

また、ついつい3週間があっと過ぎてしまい次の講座の回が配信されてきた、といったことでズルズルときてしまったということもありましょう。

きっちり物事をされる性格の方でさえ、なかなか”通信”といったある意味特殊な学習方法で続けるには難しいところがあるようです。

練習ができない日があってもいいでしょう。
講座に目を通す事が出来ない日があってもいいでしょう。
スケッチパースのことを忘れてしまう事だってあるでしょう。

その方なりの”今の状況や環境がある”わけですから、その”今の状況や環境を大切に”していただきたいと思っています。
何故ならば、そこが「学習(練習)のスタート地点」だからです。

前にこのススム日記で、「講座の小冊子を作ってみて、暇なときにちょっとづつ見てみる」といった学習方法をお伝えしたことがあります。
それとはまた違った角度での練習方法をお話いたしましょう。

「必ず、日に一度は鉛筆やペンを持って”手がき”をすること」・・・・・、これを実践してみてください。
”手書き”は何でもいいです。
文字、イラスト、ちょっとしたメモ、などなどとにかく手に鉛筆やペンをなるべく持つような時間を多く持つということです。
そして、鉛筆やペンを持つということを手に馴染ませて行ってください。

「手を使ってものを描く(書く)」ということを、改めて”体感・体験・実感”していただきたいのです。
これが狙いです。

そこから、少しづつ始めてみてもいいのではないかと思っています。
そして、実感を何となく感じ始めたら、講座のページを開いてみる。
そうした立て直しの仕方で、講座を進めてゆかれてはいかがでしょうか?

本講座は、特に受講生に対しまして”しばり”はございません。
(講座配信の都合上、3週間/1回といったものはありますが・・・。)
受講の方法や練習方法は色々あって当たり前なのです。

どのようなことにでもご相談いただけましたら、ご回答させていただきます。
また、ご意向に添うように対応させていただきます。
気軽にお問い合わせください。

義務で行う1時間よりも、楽しんで行う1分の方が身になります。

楽しんでいきましょう!
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by sketchpers | 2009-05-19 11:31

立体感覚、空間感覚ってなあに?

本講座でよく出てきます「立体感覚・空間感覚」とは、具体的にはいったいどういうものなのでしょうか?

「三次元のことでしょう?」
「現実自体が立体や空間なのだから、当たり前でしょう。」
「何かを手にしたり、どこかに入ったりすることかな?」

さて、皆さんはどう考えられますか?

また、このようなことを耳にすることもありますね。

「私は、感覚が鈍いから立体とか空間とか言われてもわからない。」
こういった言葉(気持ち)です。

まあ、感覚を”センス”という言葉に置き換えてみれば、「センスがない。」という言い方には「格好良くない」
「お洒落じゃない」というような意味合いがあるのでしょうね。

しかし、その”センス”という言葉も”センサー”といった「能動的な動詞」に置き換えてみますとどうでしょうか?

いつでも、どこでも、あらゆる方向にアンテナを張り巡らせて、いつでも何かをキャッチできるよう、まさに
「感覚を研ぎ澄ませている」状態に感じませんか?

つまりは、「センス」は磨くものであり、もともと備わってはいるのでしょうが、”持っているもの”ではないように思います。
それよりも、常に”センサー”を働かせているか?・・・・・。
この事の方が、とても大切なように思えます。

感覚は、一般的には「五感」として始めから備わっています。
「オギャー!!!」と産まれた赤ちゃんは、先ずは”味覚(食べる・味わう)”ことから始まり、”臭覚(嗅ぐ)”によって識別を覚え始め、”触覚(触れる・さわる)”ことで存在の感覚を覚え、”聴覚(聞く)”によって認識し始め物事を覚え、”視覚(見る)”によって全体の存在の調和を認識してゆく、こうした五感の発達の順序とともに成長してゆくのだそうです。

そしておもしろいことに、成長した後は特に男女に於いてはこの五感の発達の順序の逆から、五感を使ってゆくのだそうです。

「おやっ!素敵な人だなあ(と、見る)」:視覚
「あ~、知りあいになって話をしてみたい(声を聞いてみたい)」:聴覚
「デートで手を繋ぐことができてうれしい(と、つないだ自分の手を何度も触る)」:触覚
「あの人との距離が近くなって、いい香りがする(匂いに敏感になる)」:臭覚
「交際して初めてキスを交わした(お互いを味わう)」:味覚

このような形になるようです。

この五感に「情動や感動など」といった”意識”が加わることによって、「感覚、感性」が養われてゆくようです。
つまりは、「体感・体験」を通しての実感ある認識そのものが「感覚・感性」ということになるのでしょう。

さて、始めの問いに戻りましょう。
「立体感覚、空間感覚」とは、どういうことなのか?

もうおわかりでしょうね。

そうです。「実感・体感・体験」そのものが「立体感覚、空間感覚」といってもいいでしょうね。
つまりは、あらゆる存在そのものが立体であり空間であることを実感し体感・体験して認識・意識することによって養われてゆく・・・・・。

”センサー”を張り巡らせ、いつでも反応できるような態勢に感覚を置いておくこと。

「手を動かす前に」大切なことでもありますし、「手を動かしながら取得できる」ことでもあります。
手を動かすこと、すなわち実感・体感・体験ですね。
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by sketchpers | 2009-05-17 19:47

おもしろい傾向

いや~、実に厳しい世の中になってきましたねえ。
皆さんのお仕事の方は、いかがですか?

私の周りの建築士やデザイナーなどに聞いても、全くいい返事などはありません。
「仕事?ないねえ・・・。」、これがほとんどです。

しかし、本当に「ない」のかなあ?

これはひとつの傾向になってゆくのかなあと思っていますのは、私の住む横浜市青葉区の住宅地にすこしづつですが住宅の建て替えが始まっている、ということです。

どうゆうことかと言いますと、この辺は昭和40~50年代に私鉄が開発した住宅地なのですが、現在では子供も結婚をし熟年夫婦二人の住宅が多いのです。
その子供達が、自分達では「土地からの購入での住宅建設」はこのご時世では到底できないと判断。
親の土地を利用させてもらうことで、上物としての住宅の費用で済ませる、といった傾向が出てき始めております。

まあ、いわゆる「二世帯住居」になるわけですが、単なる今までの二世帯住居の”入り方(建て方)”とは違っているように思えるのです。
つまりは、二世帯住居の建築動機といえばいいでしょうか。

それはそれとして、こうした傾向は今後各地に見え始めるのではないかと思っております。

大家族の時代から、核家族化が進み、単身世帯も多くなってきた社会も、成熟期を過ぎ新しい家族の在り方が少しづつ出てきはじめているようにも見えるんですねえ。
つまりは、「脱核家族化」といいますか「三世代家族」といいますか、うまい言葉が見つかりませんがバラバラだったものが再び元に戻り繋がりを取り戻し始めている、そういった感じに思えるんです。

そうした時に、そういった家族にとって必要な「住宅の在り方」ってどういうことなんだろう?・・・、と考えます。

皆さんは、どう考えられますか?

今後、急速に社会は”崩壊のように見える大変革期”に突入するでしょう。
しかし、崩壊なくして新たな建て替えも立て直しもできませんよね。
一見、崩壊のように見えても実はそれは”破壊ではなく清算”のひとつの現象なのかなあ、などと思います。

このような社会だからこそ、しっかりした提案(価値観)を求められるように感じる、今日この頃です。
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by sketchpers | 2009-05-15 14:35

そもそも「手書き」って

「受講生の皆さんの提出課題スケッチパースを拝見させていただくたびに、そのスケッチパースからは各々の受講生の皆さんの顔が浮かんできたり、提出までの3週間がどうだったのかがスケッチパースから語りかけてくるんです。」

いきなり突拍子もない始まりですみませんが、これは本当なんですよ。

私は霊媒師じゃありませんし、そんな力も持ってはいません。(笑)

これは、「手書きという世界での以心伝心」なのかなあ、といつも思っています。
手書きの典型は、「文字」ですよね。
「いつもがさつに振舞っている人の書いた文字を見てビックリ。とても奇麗な文字を書いているので、その人を見る目が少し変わった。」などといったご経験、ありませんか?
本人の意識・無意識に関わらずとも、こうして皆何かをきちんと感じ取っているんですね、手書きというのは。

上手い・下手は関係ないようです。
下手であっても丁寧に書かれた文字を見ますと、それだけで書いた方の気持ちや姿勢が何となくわかり「通じあえた」感覚が出てくるものです。

また、”その方にしか書けない(引けない)”ものになっているんですね、手書きというのは。
だから、おもしろい。だから、楽しい。

「手書き」は、単にコンピューターといった”デジタル”なものに対抗した手法としてあるものとは位置づけいたしておりません。
また、「手書き」は”アナログ”だとも考えてはおりません。
”アナログ”や”デジタル”といったものは、情報の処理の手法を語っているものです。
そういった意味では、「手書き」はアナログでもなくデジタルでもありません。

これは、「表現手段(伝達手段)の原点のひとつ」だと思っております。
そして、本来の意味合いが隠されているように思います。
「手書き」だけが本来の表現だとは言ってはおりません。そのような傲慢さはありません。
「手書き」が持つ能力、「手書き」が持つ雰囲気などは、本来人々が持つコミュニケーションの基本があるように思えるのです。
そういった意味で、「原点」と申し上げました。

「手書き」に限らず何でもそうでしょう。
「手料理」「手作り」「手塩に育てる」・・・・・、「手〇〇」には人が持ちえる壮大な何かがあるように思えてなりません。とても大切なことだと感じております。

こうした観点からあらためて「手書き」を通して、”ものづくりの在り方”を今一度考えなおすいい機会だとも思っております。
「手書きスケッチパースが描けるようになった」ことを通して、次代のものづくりを考えてみる・・・・・、そんなひとつのきっかけになれたらスケッチパース冥利につきます。

本当に、皆さんからの「提出課題スケッチパース」を毎回楽しみにしております。
何故なら、「皆さんお一人お一人にお会いできる」からです。

楽しみだなあ~。
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by sketchpers | 2009-05-13 12:21

私、教わっているんです。

一応、この「手書きスケッチパース講座」の講師として、本講座の内容の取り決めをしたり、受講生の皆さんからの提出課題スケッチパースを添削・アドバイスしたりといったり、当然のことながら実際の仕事でもスケッチパースを描いたりとスケッチパースに携わる日々ですが、「これで”完成”した!」というある種のものがないんですねえ。

スケッチパースを描き始めてしばらくは悪戦苦闘しますが、それも慣れてきますとある一定のレベルのスケッチパースが描けるようになります。

そうなってきますと、「周りがどのようなスケッチパースを描いているのか?」が気になり始め、様々なスケッチパースをそれこそ穴が開くほどに観察するようになります。
いわゆる、表現の仕方やテクニックを分析するような感じですね。

それによって、「なるほどこの辺は使えるなあ~。」といったものを自分の描くスケッチパースに取り入れ、更なるレベルアップを図っていくわけです。

また、画材への興味も増してゆくことでしょう。
自分にあった描きやすいペンや紙などを模索し始めることになります。
この「画材選択」によっても、グ~ンとスケッチパースの雰囲気が変わってきます。
これも、ひとつのレベルアップでしょうね。

また、雑誌や映画やアニメも大変勉強になる資料です。
カメラマンや作者は、その意図を最大限に「二次元世界(平面の世界)」に表現したいために、特にアングル(パース)に拘ります。
この辺が、スケッチパースを描く上で大変参考になります。

こうして一通りのことを通して、スケッチパースを自分なりに自由に描けるようになって、さて今度は人様に教えるといった立場になってみましたら、これまた勉強させられるんですねえ。
”勉強になる”と言った方がいいですね。

何が勉強になるかといいますと、受講生の皆さんが描かれますスケッチパースが私にとって勉強になるわけです。

それは、「講師として」ではなく同じスケッチパースを描く者としてという意味です。

「なるほど、このような線を描く人がいるんだなあ。」
「同じように描いているようでも、この人なりに解釈してここを仕上げているんだあ。」
「私の描き始めの頃より、圧倒的に”上手い”!!」
などなど、私にとりましてとても新鮮なんです。

そうなりますと、私自身の描くスケッチパースに取り入れたくなってきます。

線の表情や描き方の癖を真似てみたりします。
そして、自分のものとして吸収させていただいております。

教えている立場のものが、代えって教わる・・・・・、よくある話ですが実際そうなんです。

講座の始めは、線の引き方やパースの起こし方や受講生の皆さん各々の個性についてアドバイスをさせていただいています。
しかし、一度アドバイスをいたしましたらもうすでに”スケッチパースを描く”という意味では同じ土俵にいるものと私は思っております。

いずれは受講されている皆さんも、自分なりのスケッチパースを描くようになるでしょう。

その時も、私を始めスケッチパースを描く方々にとっては”貴重な参考資料”となるわけです。

いわば、切磋琢磨といったところでしょうか。
技術を取得し、その技術を磨き、芸の域に達しても、さらに道は続いてゆく・・・・・。

どんなに小さなことでも、「奥が深い」ものなんですねえ。
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by sketchpers | 2009-05-11 11:52

こんなことを考えておりますが・・・。

皆さん、いつも本講座を受講されまた「ススム日記」などを読んでいただきまして、ありがとうございます。

月を重ねる度に受講される方々も増えてゆき、また全6回の講座を修了されて晴れてお客様にプレゼンする「スケッチパースデビュー」を果たされている方々もいらっしゃいます。

私共事務局や講師陣にとりましては、本講座を受講していただいておりますことに感謝いたしております。
また、WEBという特殊性のもとに進めております故、皆さんから送っていただいております「提出課題スケッチパース」がなによりの皆さまとの”絆”とも実感いたしております。

しかしながら、やはり受講されていらっしゃいます皆様にとりましても、また事務局や講師陣にとりましても、ある意味一方通行的な受講形体への”不安、不満、寂しさ”は否めません。

「この辺で、何かひとつ”もっとわかりやすくスケッチパース”をお渡しできないものか?」

事務局や講師陣の話し合いの中で、「セミナー」を実施することにいたしました。

このセミナーは、基本的には「もっと多くの方々に、手書きスケッチパースを知っていただこう」というのが狙いですが、セミナー自体の内容は「実践タイプのセミナー」になろうと思います。

現在、受講されていらっしゃる方々や終了されていらっしゃる方々にとりましては、本講座と重複するセミナー内容もあるかとは思いますが、WEB上で受講するのとは違い講師と直にやりとりができるといった利点があるだろうと思います。

事務局や講師陣にとりましても、受講される方々を肌で感じることができる利点があろうかと思っております。

開催予定は、早くて8月頃の予定を考えております。
開催場所の候補地は、今のところ東京・静岡・名古屋・大阪の4か所を考えております。

セミナーへの参加は、現在受講されておられる方、終了された方、またお友達や同僚をお誘いしていただいたり、会社としてのご参加も結構です。

セミナーの内容を充実させたいと思っております。
「このような内容でセミナーをしてほしい。」といったご要望がございましたら、どんどんこの「ススム日記」のコメント欄もしくは本講座のHPの「お問い合わせ欄」にて、”セミナーへの要望”と一言タイトルをつけていただきまして、ご提案くださいますと助かります。

一方的な繋がりよりも、同業者としての”横の繋がり”を大切にしたいと思っております。
ご希望がありましたら、セミナー終了後にスケッチパース個人相談や親睦を深める情報交換の場も用意できたらいいなあ、と考えております。

住関連産業は、今後大きな変革と新しいあり方が期待され待望されるでしょう。

その時に、それぞれのお立場にてご活躍でき、次代の住関連産業を担ってゆけるよう皆さんと共にしっかりと手を握り合ってゆきたい・・・、そのような思いがこの本講座を通して湧いております。

皆さんに出会えた”奇縁”を、大切にいたしたい・・・・・。

本日の日記は、ちょっと違った角度からのお話でした。
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by sketchpers | 2009-05-09 09:12

連休の出来事

皆さん、連休はいかがでしたでしょうか?

私は、この連休を利用して「土方や大工」仕事をしました。
縁あって、50~60年程経っている古民家のリフォームを、本職の大工さん一人に付き添ってお手伝いしてきました。

日曜大工レベルで、のこぎりや鉋やインパクトドライバーなどは使っておりますが、住宅レベルの資材に使う道具などは実際には今まで使ったことなど一度もありませんでしたから、大工さんに迷惑ばかりかけ足手まとい状態でした(笑と汗)。

9日間でしたが様々なことを教わり大変勉強になりましたが、結局一番わかったことは「この道二十数年手がけていながら、実は建物の事を何ひとつわかっていなかった。」ということでした。

工事に入る前に、当然ながら図面を書き、資材の種類と量を出し発注し、古民家のリフォーム(特に土台回りのやりかえ工事)の方法などを検討・決定して、そのための仮設用のものなども用意しました。

さて、いざ現場に入り自分が考えた工法と進め方を大工さんと検討し始めてゆきますと、(限られた時間の中で完成させるといったこともありましたが)特に一番重要で自分なりに一番気を使った土台回りのリフォームのやり方については大きな変更となりました。

「そうかあ。そうゆう方法があったのかあ・・・。」

大工さんと一言でいっても、様々な考えややり方や修行経験があり、そのバックボーンによって大工さんなりに担当工事を納めていくわけです。
いわば、一人一人大工さんの”癖”があるわけです。

その大工さんの癖と、現場という戦場とを咬みあわせて臨機応変に納めていかなければ形になりません。

「せっかく図面や工法などを、時間をかけて考え資材なども入れたのに・・・。」と、我を張っていてはまとまるものもまとまらなくなります。

また自分の持っている知識や経験などは、実際に物を形にしている大工さんからしてみれば、何も知らないことと一緒なんです。
そのことが、嫌になるほどよくわかりました。

スケッチパースが描けても、ノミや鉋ひとつ満足に使えない。
設計やデザインを考えることができても、それを自分で建てろと言われると「無理だなあ。できない・・・。」となるんですね。

そういった意味で、実際に”形にしてくれる”方々への感謝は更に強くなりました。

そして、役割の分担によってひとつの建物を作っていることを再確認・再認識いたしました。

そういった気持をこめて、今後の設計・デザインに役立てていきたいと思いますし、またスケッチパースの描き方(姿勢)も変化してゆくように自分自身感じます。

図面やスケッチパースでは建物は建ちません。
しかし、図面やスケッチパースがなければ建物は建ちません。

大きな財産になりそうな大切な何かを勉強した、今年のゴールデンウィークでした。
(体は現在ガタガタ・ボロボロです。)
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by sketchpers | 2009-05-07 12:25